友達が多いことが、自分の価値だと思っていた

昔のバンドの様子 60代もう一度自分を生きる

この記事は、60代になって自分の過去を振り返るようになった方に向けて書いています。

今になって思う。
大事だったのは、友達の数ではなかった。
どれだけ人に囲まれているかではなく、どんな関係が残るかだった。

若いころの自分は、そのことがまるでわかっていなかった。

誘われれば行く。
声をかければ人が集まる。
予定が埋まっていることが、どこか誇らしかった。
それが自分の価値のように思えていた。

体力もあったし、勢いもあった。
この先もずっと、こんなふうに人に囲まれて生きていくのだろうと、何の疑いもなく思っていた。

でも、あの頃の自分は見えていなかった。
人の気持ちも、自分の言葉や態度が相手にどう残るかも、ほとんど考えていなかった。

今になって思い返すと、引っかかることがいくつもある。
あのとき、あんな言い方をしなければよかった。
もう少し相手の気持ちを考えればよかった。
そんなことばかり浮かんでくる。

当時は気づいていなかった。
いや、気づかないままで済ませていたのだと思う。


そのことをはっきり意識したのは、数年前の同窓会だった。

久しぶりに会った級友に、こう言われた。

「こうたって、優しかったんだね」

その一言が、なぜかずっと頭に残った。

自分では、冗談のつもりだった。
場を盛り上げているつもりだったし、みんなに気さくに接しているつもりでもいた。
でも、相手にはそう伝わっていなかったのだと思う。

悪気がなかったことは、言い訳にはならない。
むしろ、悪気がないまま人を雑に扱っていたのだとしたら、そのほうが重い。


転機になったのは、事業の失敗だった。

20代の後半で借金を抱えた。
返すしかなかった。
とにかく働いて、返して、その月をしのぐ。しばらくはそれだけだった。

友人からの誘いも、先輩からの声かけも、ほとんど断った。
遊ぶ余裕はなかったし、正直に言えば、人に会うのがしんどかった。
うまくいっていない自分を見せたくなかったのだと思う。

仕事だけしていた。
それ以外のことを考える余裕はなかった。

気がつけば、12年以上が過ぎていた。


あの時間は孤独だった。
ただ、今になって思えば、必要な時間でもあったのだと思う。

人と距離ができたことで、やっと見えるものがあった。
にぎやかな場所にいたころには見えなかったことが、一人でいる時間の中ではよく見えた。

自分が何を大事にしてこなかったのか。
誰に甘えて、何をごまかしてきたのか。
そういうことを、嫌でも考えることになった。

昔、誘いを断り続けた先輩が、今でもたまに声をかけてくれる。
それが今は、ただありがたい。

若いころは、つながっている人数ばかり気にしていた。
でも、年を重ねるほど、残ってくれる関係のほうがずっと重いことがわかってきた。

人は多ければいいわけではない。
少なくなってから残る人のほうが、その関係の本当の深さを教えてくれる気がする。


60歳を前にして、ブログを書き始めた。

過去のことを言葉にしていると、ぼんやりしていた記憶の輪郭が少しずつ出てくる。
あの頃の自分が何を見ていなかったのか。
何を失って、何が残ったのか。
書いているうちに、ようやく自分でわかってくることがある。

人生には、取り返せることと、取り返せないことがある。
それでも、気づいたあとにできることは残っている。

遅いかもしれない。
きれいには戻らないかもしれない。
それでも、今から少しずつやり直せることはある。

このブログでは、そういうことを、できるだけ正直に書いていこうと思う。

📝 次回:借金を返すために、誘いを断り続けた12年の話

カテゴリー:60代、もう一度自分を生きる | ブログ:kouta1965.com | 作成日:2026年3月17日

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